友を悼む

「木野友則の悪意」(1日目2日目3日目)の後日譚というか、番外編です。その性質上、「木野友則の悪意」の重大なネタバレがありますので、必ず「木野友則の悪意」を読んでからお読み下さい。



 秋空は何処までも高く、青かった。昨日の天気予報では多少天気が崩れるようなことを言っていたが、どうやら外れたようだ。
 集合場所は星風高校の校門の前だった。俺が次美と一緒に来た時には、すでに何人か人が集まっていた。
「やあ、大江君、三枝さん」
 引率係の芦田先生が声をかけて来た。
 普段はネクタイを締めてるところなんか見たことないけど、さすがに今日ばかりはそうは行かず、黒のスーツに黒のネクタイを締めている。もともと背の高い人だけど、シャープな喪服姿の芦田先生はいつもよりさらにひょろ長い感じがした。
「晴れましたね」
「人を……菅原君を送るには、ちょうどいい天気ですよ」
 俺は周りを見回した。集まっているのは、演劇部のメンバーや同じクラスの人達だけではなかった。目立たないし控えめな性格だけれどみんなに慕われている。菅原拓巳は、そういう人だった。俺だって菅原さんのことは好きだったし、次美だってそうだ。ここにいる全員、そうだろう。
 ……あれ、でも、肝心な人がいないな。
「木野さんは? 来てないんですか?」
「渋ってるみたいね、来るのを」
 答えたのは先生ではなく、うちの演劇部の要である河村朝子さんだ。おっとりとしたお嬢様に見えるけれど、それだけの人ならうちの演劇部でメインは張れない。朝子さんは、今朝戸田さんから「木野が行きたくないとぐずってる」と連絡を受けたんだそうだ。
「え、じゃ、来ないんですか木野さん?」
 次美が訊いた。木野さんと菅原さん、あんなに仲良かったのに。
「来るわよ。戸田君『絶対引っ張って来る』って言ってたから」
「手がかかるなあ、あの人も」
「噂をすれば、来たようですよ」
 向こうから目立つ二人組が歩いて来るのが見えた。金髪に近い薄い色のくせっ毛の人と、それに引きずられるようにしてるつり気味の目の人。
「ほら、さっさと歩け」
「だーかーらー、俺湿っぽいの苦手なんだよ」
「んなことで部長が欠席したらダメだろが。最後の別れなんだから、おまえがいなくてどうする」
 どんな時でも、全く変わらないなこの人達。戸田さんは木野さんを引きずって、俺達のところまでやって来た。
「待たせたな、みんな。遅れてすまん」
「集合時間過ぎてねーもん俺遅刻してねーもん」
 木野さんは両手をポケットに入れ、ふてくされたような態度で言った。
「ガキかおまえは。つーかおまえがグズグズしてるからだろ」
「はいはい。二人とも、斎場ではほどほどにしてね」
 さすがに朝子さんは手慣れている。まあ、俺や次美だって、この程度の会話は聞き流せるくらいには良くも悪くも慣れてしまっているけど。
 十八歳児としか言いようのない今日の木野さんだけれど、決して菅原さんに対して真摯な気持ちがないわけではない。いつもは適当に着崩している制服を、今日はきちんと着ている。
 星風の制服は、全体的に落ち着いた色合いになっている。濃紺のブレザー、白のカッターシャツ、紺地に斜めにストライプの入ったネクタイ、チャコールグレーのズボン。女子は同じく濃紺のブレザー、白のブラウス、ネクタイと同じ色合いのリボン、チェックのスカート。基本はこんな感じだ。地味ではあるがデザインとしては悪くないと思う。
 木野さんの着こなしは、上着もズボンも何となくダボッとした感じで、何か借り物のように見える。サイズ間違えたんだろうか。
「木野君達で最後ですね。じゃ、そろそろ行きましょうか」
 先生の言葉で、俺達は連れ立って葬儀の会場へ向かった。

 葬儀会場は街の外れにある会館だ。人数がいるとか、少し学校から遠いとか、色々な理由で小型バスをチャーターして会場へ向かう。その途中、前の席に座っていた木野さんが、隣に座っていた芦田先生にぼそりと声をかけた。
「なあ、あっしー」
「何ですか? 木野君」
「反魂って、出来るのかな」
 ハンゴン。「反魂」という漢字を思い浮かべるのに、少しだけ時間がかかった。
「……それは、世の中の理に反することですよ」
 芦田先生は静かに言った。
「――わかってる」
 木野さんは窓の外を見ながら答えた。
「別に今の拓の体に拓の魂を戻そうとは思ってねえよ。拓の体は、今日焼かれて骨になる。それを止めることは俺には出来ないし、止める気もない。――俺のやりたい反魂は、もっと別の形だ」
「君だったら、舞台の上でなら何でも出来るんじゃないですか?」
 先生の言葉は、優しいようで容赦ない。
「……だといいけどな」
 木野さんは、何処か遠くを見たまま、言った。
「県総祭、やるかどうか判んねーし」

 バスが止まり、生徒達が出て来た途端、カメラのフラッシュが焚かれた。葬儀会場の前には新聞やテレビの報道陣も来ている。バスをチャーターしたのは、このためでもあるのだ。
 今日ここで葬儀が行われる菅原さんは、殺人事件の被害者だ。県総祭――県内の高校生が自主的に運営する総合文化祭という県内の一大イベントの下準備のために遠出していた時にたまたま台風による災害が起こり、俺、木野さん、戸田さん、菅原さんの四人はその場で足止めを食らって――そこで菅原さんは殺された。木野さんの活躍で犯人はすぐに捕まったが、事件の影響は思った以上に大きく、県総祭の開催すら危ぶまれている。
 実行委員の人達は何とか県総祭の中止は食い止めようとしているし、俺達も菅原さんが関わった最後の舞台をこのままなかったことにはしたくない。が、未だ災害の傷跡は癒えず、事件も半ばセンセーショナルに扱われていて風当たりは強い。出来ることはしているつもりだけど、なかなか難しい。
 木野さんが今日ずっと不機嫌そうなのも、それが原因なのかも知れない。その不機嫌な人がマスコミのカメラに向かって中指立ててるのを、俺は見ないふりをした。まあ直後に戸田さんに頭はたかれてたからいいか。
 芦田先生に連れられ、俺達は葬儀の会場に入って行った。一同を代表して先生が受付で挨拶し、上背を丸めるようにして記帳する。先生の字は綺麗で読みやすい。授業中の板書も見やすくて書き取りやすいと、生徒にも好評だ。
「俺も、名前書いていいかな?」
 不意に、木野さんが言った。先生は黒縁眼鏡の奥から数秒木野さんを見つめ、わずかに微笑むようにして答えた。
「いいですよ。どうぞ」
 受付にいた若い女性から筆ペンを受け取り、木野さんは黒々と自分の名前を書いた。木野友則。
「どうも」
 ……あの、木野さん。葬儀の場で、受付のお姉さんにキラースマイル炸裂させるのはどうかと思いますよ? すぐさま戸田さんが木野さんの襟首をむんずとつかみ、会場の中まで引っ立てて行った。この辺の呼吸はさすがに絶妙だ。
「服を引っ張るな、服を」
「うるさい。とっとと行くぞ」
 普段よりはおとなしくしているものの、基本的にはいつもと変わらない木野さんと戸田さんに続き、俺達は葬儀の本会場へ入った。

 正面に、白い菊の花で飾られた立派な祭壇があった。真ん中に掲げられている遺影は、うちの高校の文化祭での公演での写真だ。県総祭の前哨戦のような感じで、観客には好評、俺達も手応えを感じたステージだった。
 菅原さんは舞台には上がらない裏方専門だったけど、一緒に舞台を創り上げて行く大事な仲間だった。木野さんもよく言っているーー「舞台ってのは、板に立ってる奴だけのもんじゃねーぞ」って。
 うちの演劇部のサイトやブログには、積極的に裏方スタッフの写真を載せるようにしている。この遺影はその中の一枚だ。ネット方面を担当している後輩部員の工藤がここ最近の写真の中から何枚か抜き出し、みんなで話し合って選んだものだ。改めて見ても、いい顔をしている写真だった。
「菅原さんのあんな顔、もっと見たかったね」
 小さい声で次美が言った。俺は無言でうなずいた。
 二列に並んで、焼香をする。木野さんも、この時ばかりは神妙な表情で手を合わせている。
 会場の片隅では、菅原さんのご両親が参列者に挨拶をしていた。と、俺達の姿を見つけ、菅原さんのお母さんがこちらに近づいて来た。
「この度は、どうも……」
 木野さんが頭を下げた。
「木野君……拓巳のことでは、本当にお世話になりました」
 お母さんも、深々と頭を下げる。
「俺は大したことはしてません。むしろ、拓がこんなことになるのを、みすみす許してしまった。申し訳ありませんでした」
 こんな悲痛な眼を木野さんを見たことが、今まであったろうか。
「事件のことだけじゃないわ。あの子があんなに笑えるようになったのは、全部木野君と戸田君のおかげよ。すっかり心を閉ざしてしまっていたあの子を、積極的に誘いに来てくれたり、時には他の子から守ってくれたり」
 小学校の頃に転校して来た菅原さんに、ずっと付き合って来たのが木野さんと戸田さんだ。いじめが原因で心を壊してしまった菅原さんが、普通に高校生活を送れるようになったのは、ひとえにこの二人の力があってこそだ。俺がその経緯を知ったのは高校に入ってからだし、詳しいことはあの事件まで知らなかったけど、三人が積み重ねて来た時間の重さはそばにいれば判る。
「あの子ね、よく言っていたのよ。『木野は時々思いもつかないような突拍子もないことをするから、一緒にいて楽しい』って」
「そう言えば……」
 朝子さんが口を開いた。
「例の、木野君と戸田君の入れ替わり計画。あれを『面白い』って言って、真っ先に協力したの、菅原君だったわね」
 そうだ。菅原さんは、あの計画を成り立たせるために、木野さん達と一緒にあちこちに頼み込んで回ってた。悪ふざけとしか思えなかったあれが、結局は菅原さんを殺した犯人をあぶり出す決め手になった。なんか皮肉というか、複雑な気持ちになる。
「――俺は」
 木野さんは、言った。
「あいつの笑った顔が見たかっただけです」
 ……これは、この人の何よりも正直な言葉だ。いつもはハッタリをかましたり、デタラメやデマカセを言ったりもするけれど、この人は根っこのところでは決して嘘はつかない。
「皆さん、最後に拓巳に会ってやって下さい」
 お母さんの言葉で、俺達は菅原さんの遺体が納められた棺に向かった。司法解剖から帰って来た菅原さんの遺体は、殺された際の傷口もちゃんと処置してあって、まるで眠っているように穏やかな顔をしていた。ふと気づくと、横で次美が手で顔を覆って涙ぐんでいる。俺は手を伸ばして、次美の頭をそっと撫でた。よしよし。
「そーいうことを何のてらいもなくフツーに出来るとこが、おまえの憎ったらしいとこだよな」
「放っといて下さい」
 半ば冷やかすような木野さんの言葉に、俺はそう答えた。ていうか、さすがに俺でも、次美以外の女の子にはこういうことはしませんよ。次美はれっきとした俺の彼女だし。まあ、男は男らしくあれ、強くあれ、女性に優しくあれと母親に言われ続けて育ったのは確かだけど。
「てかさぁ、おまえも泣いてもいいんだぞ?」
「え?」
「どーせおまえのおふくろさん、『男は涙を見せるな』とか言ってんだろうけど、悲しい時に泣くのは男も女もないからな」
 確かに、そういう風にも言われていた。だからって、はいそうですかと簡単に泣けるはずもなく。
「……泣きませんよ」
 今はね。
 木野さんは、ふーん、と生返事をした。

 木野さんの姿が見えないのに気づいたのは、お坊さんの読経が終わった辺りだろうか。最初はトイレにでも立ったのかとも思ったが、いつまで経っても帰って来ない。
「逃げやがったな」
 戸田さんは端的に表現した。
 念のため、トイレとかあちこち見て回ったが、木野さんは何処にもいなかった。服の切れっ端すら見つからない。
「変なんですよね」
 次美が首をかしげた。
「スタッフの人に木野さんいないか訊いてみたんですけど、誰も見てないって言うんです」
「マスコミが来てるから、勝手に部外者が入って来ないように、従業員用の出入口には気をつけてたらしいわ。そちらでも見た人はいないようね」
 朝子さんも言う。
 それならば、ということで、俺と戸田さんは正面の出入口に向かった。来た時に会った、受付の女性に訊いてみる。
「あの、すみません。うちの生徒がここを出て行きませんでした?」
 受付の人は少し考え、答えた。
「いいえ、星風の生徒さんは見かけませんでしたけど」
 え?
 それじゃ、木野さんは本当に何処からどうやって出て行ったんだ。まだこの中の何処かに隠れてる? それも考えにくい。
「あの、来た時に記帳して行った人なんですけど。通ってません?」
「はい。通っていません」
 この人が嘘をついている様子はないし、嘘をつく必要もない。
「行くぞ」
 戸田さんが言った。そのまますたすたと外に出ようとする。俺は受付の人に軽く頭を下げ、戸田さんに続いた。
 俺達が葬儀会場の外に出て、何メートルも行かないうちにマイクとカメラが向けられた。
「君達、星風の生徒さんですよね? 亡くなった菅原君のお友達? この度の事件について、何か一言おうかがいしたいんですが」
「いや、俺達は……」
「大丈夫、顔は映しませんから。声も変えますので」
「や、本当、何も言うことないし」
 断ろうとしたが、マスコミの人達はしつこかった。しかも、さっきよりカメラとか増えている。ヤバい、と俺は思った。俺も戸田さんも、菅原さんと親しいどころか思いっきり事件の関係者だ。それがバレれば、しばらく離してはもらえないだろう。木野さんを探すどころの話ではなくなる。
 と。ぬっ、と誰かが俺達の後ろから顔を出した。他の人より明らかに背が高いその人影は、穏やかな口調でマスコミの人達に声をかけた。
「申し訳ありませんが、生徒への取材はご遠慮願います」
 芦田先生は眼鏡の奥からいつものにこにこした笑顔を浮かべていたが、何処かいつもより迫力があるように見えた。長身にまとう喪服の黒スーツが、下手すればギャングの正装に見えかねない。
「あ、僕は星風学園高校で教師をしております、芦田と申します。生徒達も今回の事件では少なからずショックを受けておりますし、取材は学校を通していただけませんでしょうか」
 言い方は丁寧だが、有無を言わせない雰囲気を全身から放っている。物腰柔らかに見えるけれど、相手は我が演劇部の顧問にして星風学園一の不良教師、芦田風太郎だ。百戦錬磨のマスコミ陣も気圧されている。
「あと、一つおうかがいしたいのですが」
 言いながら、芦田先生は眼鏡を外した。
「ここで、彼ら以外のうちの生徒を取材された方はいらっしゃいますか?」
 にっこりと笑いながら、質問の矢を放つ。集まっていたマスコミの人達は、一様に首を振った。
「いえ、この子達以外に出て来た生徒はいなかったから……」
「私達は中には入れませんし、星風の生徒さんが出て来るのを待ってましたから、いたら誰かが必ず見つけますよ」
「そうですか」
 先生は眼鏡をかけながら、俺達に目配せをした。俺と戸田さんはうなずき、ダッシュでその場から立ち去った。
「あっしー、感謝」
 戸田さんがそう言うのが聞こえた。

 しばらく走って葬儀会場から離れると、もうマスコミの姿もなくなった。戸田さんはそれでもかなりの早足で歩いて行く。目的地が判っているような足取りだった。
「戸田さん!」
 俺も戸田さんに遅れないように歩きながら、その背中に声をかけた。
「木野さんが逃げ出すこと、戸田さん判ってたでしょ?」
 戸田さんは足を止めることなく、ちらりと俺の方を見た。
「どうしてそう思う?」
「戸田さんが判らないはずないでしょう。今だって、行き先知ってるみたいだし」
「心当たりがあるだけだ」
 にべもなく言う。俺は戸田さんの背中に言葉をぶつけた。
「木野さんは、受付の人にも、マスコミの取材陣にも気づかれずに抜け出して見せた。でもあの人の性格で、何かに隠れたりしてこそこそと脱出するとは思えない。――多分、あの人は正面から堂々と出て行ったんだ」
「じゃあ、何で誰も気付かなかった」
 戸田さんは確認するように問いを返した。
「葬祭のスタッフも、受付も、マスコミも、みんな星風の生徒と聞いてこの制服を着た人間を思い浮かべたからですよ。他所ではともかく、葬儀の場ではこの制服は異質だ。弔問客も葬祭スタッフも、他の人はみんな喪服を着てる。木野さんは、黒の上下を着て、黒い集団の中に紛れた。だから、誰も判らなかった」
「あいつ、着替えなんて持ってなかったぞ」
 ああそうだ。木野さんはほぼ手ぶらでやって来た。そんな荷物なんか持ってなかったことは俺も知ってる。だからこそ、戸田さんはこの消失劇の仕掛けに気づいてないはずないと思ったんだ。
「木野さんの着て来た制服は、何となくサイズが合ってない感じでした。あれは、いつも学校に着て来てる制服じゃない。少し大き目の制服を手に入れて、改造したんでしょう」
 前もって着替えを何処かに隠しておくのは難しい。前日は葬儀の準備で、葬儀社の人達が大勢出入りしてただろうし、関係者以外は立入禁止だったろうし。誰かに見つかってしまう可能性もある。
 だったら、着ている服で何とかするしかない。
「上着はきっと、リバーシブルに加工した。裏返せば黒の上着になるように。元の色が濃紺だから、裏を見せないように着込めば判りにくい。ズボンは、大き目のズボンの下に細身の黒のズボンを履いてたんだ。脱ぎやすいように、ボタンやファスナーをマジックテープにでもつけ変えてたのかも知れない。早変わりの要領だ。脱いだズボンは……そうだな、体に巻き付けたら体型を誤魔化すのに使えるかも」
 ネクタイなんかは、替えを何処かに隠し持っていればいい。
「身なりさえ変えてしまえば、木野さんのことだ、印象をがらっと変えることはたやすい。受付で記帳したのは、受付の人に自分を印象付けるためですね。より不可解な状況になるように演出したんだ」
 そうして、あの人は誰にも気づかれずに葬儀会場から脱出した。
「木野さんの襟首つかんでた戸田さんが、服の仕掛けに気づかないわけがない。そう思ったんですよ」
「……何かやらかす気なんだな、とは思った」
 戸田さんは白状した。やっぱりな。
「でも、判らないんですよね。何で木野さんは、菅原さんの葬式でこんな変なことをしたのか」
「それは俺、判る気がする」
「え?」
「菅原のおふくろさんも言ってただろ。菅原は、木野が突拍子もないことをやらかすのが好きだった。だから、最後の最後に突拍子もないことをやってのけたんだ。葬儀の場から、誰にも気づかれず、それでいて堂々と抜け出して見せる。それが木野の、菅原への最後の餞だったんだ」
 戸田さんは立ち止まった。土手道の下には、この辺で一番大きな川。その河川敷に、黒い後ろ姿が立っていた。木野さんだ。近寄ろうとしたら、戸田さんに止められた。
「そっとしといた方がいい。……あいつ、怒ってる」
「怒ってる?」
 悲しんでいる、ではなく?
「ああ、自分にな。加西高での打ち合わせ、菅原を誘ったのはあいつだからさ」
 ――そうだ。いつだって、引っ込み思案な菅原さんをあちこちに誘うのは木野さんだった。あの時もそうで……その出先で菅原さんは殺されてしまった。
「この河原さ、ガキの頃よく来てたんだよ。転校して来たばかりの菅原を半ば無理矢理気味に誘って、よく一緒に遊んでた。キャッチボールとかサッカーとかやったり、パンとか食ったり、ちっとも笑わない菅原を笑わせようとコントみたいなことしたり」
 小学生の頃の三人の姿が、見えるような気がした。
「自分が誘ったばかりに菅原をみすみすあんな目に合わせてしまった、そう思ってんだろ」
「でも、それは木野さんのせいじゃないでしょう」
 木野さんだろうが誰だろうが、たまたま行った先で足止めを食らうことも、そこにあんな歪んだ感情を抱えてる奴がいたことも、事前に予想出来るわけがない。そんなことが判らない人ではないだろうに。
「頭では判ってても、感情が納得しないことって、あるだろ」
 俺は木野さんの後ろ姿を見た。土手道の上から見下ろすその背中は、妙に小さく見えた。俺達がいることは判っているだろうに、木野さんは振り向きもしない。声一つ出さない。でも、あの人は全身で慟哭していた。俺には「泣いてもいい」なんて言ったくせに、あんたは俺達には涙を見せようとしないんだな。
 舞台の上では何にでもなれるのに。役の上ではあらゆる喜怒哀楽を表現して見せるのに。自分自身の感情を出すことに関しては、この人はこんなに不器用だ。友達を失った悲しみを、自分への怒りとしてしか表に出せないのか。
 その時。
 ポケットの中で、俺の携帯が鳴った。
 次美辺りが心配してかけて来たのかと思ったが、違っていた。相手は加西高校の小泉君だ。菅原さんの事件の時、俺達と一緒に足止めを食らって閉じ込められた一人で、県総祭の実行委員でもある。
「小泉君? 久しぶり、どうした?」
 電話の向こうから聞こえて来たのは、小泉君の興奮した声だった。彼からの知らせを聞いて、俺は思わず訊き返していた。
「……本当に?」
『本当ですよ、大江さん! もう、一刻も早く、皆さんにお知らせしたくて! 詳しいことは改めてFAXとかで通知しますけど、この電話が出来ることが、僕、ホントに嬉しくて……』
 とうとう最後には涙ぐんだ声になっている。……でも、うん、わかるよ。
「……うん、頑張ったね、小泉君。明智さんや三沢さんにも、知らせてあげて。詳細、待ってるから。……判った、またね」
 電話を切って、俺は黒い後ろ姿に向かって声を張り上げた。
「木野さん!!」
 後ろ姿が、やっと振り向く。
「県総祭、やるそうです! 今、小泉君が知らせて来ました! 会場も押さえて、日程も決まりました!」
 その、顔。一瞬見えた、何処か不安げな、迷子になった子供のような表情から、素で驚いた表情に変わる。この表情は多分、ただの高校生の木野友則の表情だ。木野さんの表情としては滅茶苦茶レアだ。木野さんの口がわずかに動いた。つぶやいた声は、こちらまでは聞こえない。
「よく開催にこぎつけられたな」
 戸田さんが言う。
「例の台風災害で被災した人達へのチャリティって名目にしたそうですよ。あと、菅原さんへの追悼にもなるから、と」
「なるほど。考えたな、小泉」
 崖っぷちだった県総祭の開催を立て直したのは、ひとえに小泉君の頑張りがあったからこそだ。ほぼ孤立無援の状態から、少しずつ賛同者を増やし、ここまで来た。その努力には頭が下がる。
 だったら俺らは、それに応えないといけない。俺は再び木野さんに向かって叫んだ。
「木野さん、県総祭の舞台は、菅原さんが関わった最後の舞台だ! 最高の舞台にしようぜ! 菅原さんが死んだの口惜しがるくらいに! うっかりこの世に戻って来ちまうくらいに!」
 菅原さんの魂がこの世を離れたのなら、呼び戻せばいい。きっと菅原さんは、県総祭の舞台に関しては心残りがあるに違いないんだ。最後まで関われなかった無念が。
 だったら、その無念を煽り立てるくらいにいい舞台を作ってやる。そしたら、さすがの菅原さんだって化けて出て来るだろう。それが俺らに出来る反魂だ。行きのバスで、木野さんが芦田先生に言ってた奴だ。
 ――そして。最高の舞台を最高のまま終わらせられたら、その時こそ菅原さんは綺麗に成仏するだろう。俺ら次第だ。何もかも。
 気がつけば、俺の両眼からはぽろぽろと涙がこぼれ出ていた。菅原さんを失った悲しさと、一度は中断しそうになった舞台が復活した嬉しさと。いろんな感情が俺の中でぐちゃぐちゃになって、涙という形で流れ出していた。
 いつの間にか、木野さんが俺のすぐそばまで来ていた。さっき俺が次美にやったように、俺の頭をよしよしと撫でる。なんか妙ににこにこしてないか。あんたひょっとして、これがやりたかっただけじゃないのか。
「戸田」
 いつもの調子に戻った木野さんが、戸田さんに言った。
「県総祭の本番、カーテンコールがかかったらおまえも出ろ」
「あん?」
「おまえだけじゃない。表舞台に立つ奴も、裏方に回る奴も、出れる奴はなるべく全員出す。……もしも拓が混ざってても、不自然じゃないように」
「……いいな、それ」
 戸田さんが微笑んだ。役者勢も裏方も、みんながずらりと並んだ中に、しれっと死んだはずの菅原さんが参加している――それは、とても愉快だ。
「あと、賢、言質は取ったぞ」
 今、なんか不穏な言い方しなかったかこの人。
「『最高の舞台にしよう』って言ったの、おまえだからな。……演目、変える気はないから俺」
「え」
 県総祭でやる予定の演目と言えば、木野さんが探偵役で俺が犯人役のミステリ劇だ。あれは今までも俺に多大な風評被害が出てる役だから、出来れば遠慮したい奴なのに!
「き、木野さん、それは」
「何のために今まで練習して来たと思ってんだよ。そう簡単に演目変えれねーっつーの。――あ、犯人が動機を告白するシーン、なるべく色っぽくしろよ。おまえは根が生真面目だから色気がいまいち足りないんだ、ない色気を搾り出せ」
 木野さんはそんな無茶振りをしながら、俺らには見飽きるほどお馴染みの、人の悪い――でも最高に魅力的な笑顔を浮かべた。

 家に帰ってテレビを見ていると、菅原さんの葬儀が行われたというローカルニュースもやっていた。
 その報道のVには、思いがけず、葬儀の場を出て行く木野さんの姿が少しだけ映っていた。確認したくて、俺はネットでニュース動画を探した。黒の上下を着て、黒いネクタイを締め、人相を隠すためか伊達眼鏡をかけている。そんなものも隠し持ってたのか。
 でも、知ってる人間が注意して見ないと、それが木野さんだとは判らなかったろう。ちらりと映った木野さんはどう見ても十歳は老けて見えて、俺は舌を巻いたのだった。